« Larvatus prodeo » - 仮面をつけて、進む。
数週間をかけて、豊島由佳は、ルー・キャステルを追った。彼女の《肖像》シリーズの他の作品同様、被写体である人物を、そしてその人物の日常生活や仕事、そして人生にまで愛着をもって彼女が追い続けるのは、意識的にせよ無意識的にせよ、監督としての彼女が、なぜ他の誰でもなくこの人物をこそ撮りたいと感じたのかを(その対象が、企業役員であろうが、ダンサーだろうが、造形家であろうが)、何がその必要を彼女にもたらしたのかを、探し解明しようとしていることでもあるだろう。
豊島由佳の《肖像》シリーズは、作品それ自体として、そして同時に彼女のアーティストとしての歩みとしても、鑑賞できるだろう。彼女の感受性と、そして画角の感覚は、独特なアプローチ法を作品にもたらしている。この作
品では、彼女のカメラは控えめではない。なぜなら、カメラの前での存在法を知り尽くしている俳優、ルー・キャステルの前では、カメラの謙虚さは必要ないからだ。
ルー・キャステルに接近する旅。彼の言葉を聞き、舞台から楽屋までの彼を見つめ、沈黙の中の絵画アトリエから、俳優としての問いが語られるにふさわしいかの、列車空間まで。多くの場、多くの段階と、それだけ多くの仮面。
それらの仮面は、我々を驚かせるかのルー・キャステルを指し示そうと、こぼれ落ちようとしているかのようだ。